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G線

こういう仕事をしていると、よく患者さんの家族などから、度々頂き物を受け取ることが多く、病院によっては一切受け取らないって所もあったりするようですが、ことうちの病院に関しては有難く受け取っておる状況です。

しかしこれも程度もので、お中元やお歳暮の季節になると、一斉に患者さんからの届け物が集中し、裁ききれないほど。。(なんと贅沢な・・・)wobbly

夏は毎日スイカパーティ状態にゼリー攻撃となり、冬場は様々なお菓子の山で職場では食べきれないので、皆で分けて持って帰るほど。

こうして見ると毎日食べてばっかりいるのかと思われがちですが、忙しい時は休憩時間もなしで動いている時もあったりして、かと思えば落ち着いていたり。。

そんな中、ある患者さんの家族からまた頂きものがあり、ちょうどキャリア女史が担当の患者さんで、『○○さんから頂きましたから。』と持ってきたのが、綺麗なお菓子の包みだったのですが、ふと見るとそこには‘G線’と言う名前が。present

『あ、懐かしいなぁー。G線だ♪』と私。

実はG線とは知るひとぞ知る結構有名な喫茶店の名前で、昔三宮のセンター街にあったお店だったのです。

今はどうやら別の所にお店があるみたいなのですが、先輩ナースにも‘G線’ってありましたよねー。と話し掛けるとその先輩はかなりそのお店に入り浸っていたようで、お互い若かりし頃にタイムスリップです。

で話はそこからその頃の遊んだ話題になり、当時はディスコの全盛期。(これも懐かしい)

なんと先輩方と同じ有名なディスコに遊びに行っていたことが判明。smile

もしかしたら出会ってたりして・・なんていいながら、さらに社交ダンスから歌声喫茶なぞまで出てきたりして(これは私には世代が・・)

あー、ほんまに懐かしい・・若さにまかせて日付が変わっても三宮界隈を闊歩し、若者で溢れていたなぁ。shine

いまやすっかり良い子の時間にご就寝でミス宝塚のような生活をしている私には考えられないことですが、少し年代が若いキャリア女史が、興味深そうに聞いていて、『G線から盛り上がりましたねー。』と頂き物のG線のクッキーを食べながら楽しげに話していたのが、印象的でありました。。

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ホテルメイドこぼれ話

ちょっと懐かしいタイトルが出てきました。

ずっとブログをご覧になってくれている方だとお分かりかと思いますが、今の前身のブログ名です。

実は、この前に‘まっちゃんの風林火山’のブログ本を作成した折、ついでにと以前のホテルネタを集めてまたまたブログ本を作っちゃいましたのです。

この頃は、ホテルネタが出来ればアップしていたので、一週に1~2話程度のペースで、ポツポツと書いていて、いずれはナースに戻るつもりだったので、期間限定のブログって感じで、この時期が一番マイペースだったかも知れません。

でどんな感じかっていうと。。

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こんな感じです。

プロローグが。

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このように書いております。って言ってもよく分かりませんねぇ。

内容は、2006・4・15『はじめまして』から2007・7・7『お別れ~本業に戻ります』を経てその後も少しホテルネタを書いており、2007・10・13『ホテルの人間ドッグ』まで、なんと全99話(あー惜しい!)でございます。

正味一年三ヶ月ほどですが、まあホテルのお話ばかりよく書けたなぁとつくづくと思った次第です。

で、またまたプレゼント?と言いたいところですが、まあ、このブログ本に関しては思い出本なので、特に企画は考えてはいないのですが、たぶんこのブログを書いていた頃の読者の方もそう多くはいらっしゃらないのではとも思ったりしておるのです。

でも今読み返してももう遠い昔のようになって来ています。

懐かしいコメントも所々あったりして。

しかし以前なら確かにホテルのこぼれ話ではあったのだけれど、その流れで今もそのタイトルを引き継いでやってはいるものの実際は写真をアップしたり、はたまた大河ドラマのレビューを書いたり野球の記事やらでどこがこぼれ話やねんてなもんですが。。

こんな種種雑多なブログではございますが、ただ思いつくまま気の向くままの路線は変わりませんので、こんなまっちゃんでよろしかったらこれからもお付き合いくださればうれしく思います。

・・・・そういえばねこさんやしろちびこさん、どうされているのかなぁ。。

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試練の篤姫

いや~、於一は菊本の書置きを読み終えた後見事に変身しましたねー。

しかし菊本のナレーションが出てくるとまたまた胸が熱くなり涙・涙でございました。。

さすがお母上、於一の事はすべてお見通しでした。。

いざ、鶴丸城入りした於一ですが、そこは大奥という今和泉家とはまるでしきたりの違う世界が待っていたのでした。

於一のために用意されたお部屋に通され、まず老女の広川が紹介され、姫様のため調度品からお召し物すべて新しく調え、そしてここでは一番眺めのよいお部屋としましたとサッとふすまを開け放つと、そこには桜島が真正面にそびえ立って見えるのです。

う~ん、これには於一もご満悦でしたが・・・

わあっと思い、庭先に出ようとする於一に、広川が‘そこから先へは出ないように’と釘を刺します。

なぜじゃと言う於一に、‘転んで怪我でもされてはいけませんので’とまさに箱入りのお姫様扱いです。

どうもそこからいつもの於一の調子が狂ってきたようです。

一方、江戸での黒船来航で、斉彬は老中たちらと対策に苦慮ししている様子です。

ここは三年待てと言ってその間に軍備を整え、海軍を作らねばと力説し水戸様も納得されたようです。

そして廊下での老中と斉彬との会話からどうやら於一の輿入れの件で動きがあるようです。。

かたやそんなことは露にも知らぬ於一は、慣れぬ大奥のしきたりに広川らも手を焼いています。

そんな於一を知ってか知らずか、薩摩に戻る道中で、京の近衛家に立ち寄り、斉彬は幾島をぜひ薩摩にお連れし於一の教育係りとして迎えたいと要請します。

これが於一にとって大きな運命の出会いとなりそうです。

斉彬が薩摩に向かう中、いよいよペリーが、国書を日本に提示し、交易の交渉に臨んで来て、とりあえず熟慮するゆえ今しばらく待つようその場をしのぐのでした。

その知らせは斉彬にも届き、どうやらすべて事を急がねばならぬとつぶやくのでした。

そうしている間にあの活発だった於一が、どうも気鬱になってしまい元気がありません。

広川や奥女中の高山もどうしたものかと殿様が帰ってくまでは何とかせねばと色々と知恵を絞るのですが。。

あれこれ出しているうちにお香に興味を示した於一は、小松家のお近を呼び寄せるよう命じます。

これにはとにかくまた気鬱になっては大変と広川らも何かと大目に見て過ごします。

久しぶりに会うお近にやっといつもの笑顔が戻った於一、お近から尚五郎の伝言として、大久保がお役に復帰したことやお元気でとのメッセージが伝えられます。

どうもお近は尚五郎と於一との関係が気になるようですが、於一にとっては心の許せる友人という存在のようですね。

そしてそしてお母上からのお手紙と菊本の書置きを読む於一には一筋の涙が・・

その様子に広川らがなぜ泣いているのかと於一に菊本の書置きを見せるよう迫ります。。

そこへスクっと立ち上がった於一、‘広川。その方この私を誰と心得る。’とまるで水戸黄門の最後の決まりセリフを思わせる雰囲気でございます。

私は島津斉彬の養女、於一の姫君でござい!とまさに打って変わっての威厳ぶりを見せ、思わず広川以下、ハっとし直ちにひれ伏せるのでした。

さあ、それからの於一はまさに一の姫らしい振る舞いで広川を安堵させます。

で、ついに老女幾島が薩摩入りし、於一との運命の出会いを果たすのでした。。

【篤姫豆知識】

このたびの篤姫に関する将軍家と外様大名最大の島津家との政略結婚には様々な曲折がありました。

篤姫の夫となる家定は、京から姫君と二度結婚しているのですがどちらも死別しており、生来病弱で子も出来ない家定は三度目の夫人は京(公家)を忌避し、健康で子孫繁栄をもたらした広大院(茂姫)の血筋をを望んだといいこれが薩摩藩への縁組となったようです。

ところが、斉彬の身辺には当時大奥が希望するような娘がいませんでした。はじめに斉彬が絞り込んだ家定の後室候補は四人で、その中に篤姫の名は出ませんでした。広大院の妹を生母とする娘二人と、広大院の弟の娘、斉彬の異母弟・久光の娘の四人だったが、いずれも不調となり篤姫は五番目に浮上した候補でした。

篤姫は斉彬の叔父で島津一門の今和泉家の当主・島津忠剛の娘で、この時十七歳でした。広大院の血筋からは遠かったが、家臣たちの推薦もあり、斉彬はあらためて篤姫を中心に縁談を進めていくのでありました。

つまり養女にする時点ですでに話は進んでいたことになりそうですね。

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ヒヤリハット

ヒヤリハットという言葉をご存知でしょうか。

これは文字どおりヒヤリとしたり、ハッとするなどあわや事故になりかねない事故寸前の危険な事例のことです。

つまり事故を未然防止するための概念で、医療の現場でもよく用いられています。

こうした現場に遭遇した場合、起こった原因を分析しそこから教訓としてく過程を所定の用紙に書いていくのです。

で、これらのヒヤリハットの事例を集積し、様々な角度から今後の対策へと参考にしていきます。

これらは医療だけでなく広く安全を必要とする現場にも活用されているようです。

実はこの私、まさにヒヤリハットと言えるミスを二度も繰り返してしまったのです。

しかも命にも関わってくる内服の投薬でなんです。。

幸い大事には至らなかったのですが、気付いてくれた先輩からはもちろん厳重注意です。。

人間ですから絶対ミスがないとは言い切れませんが、しかし二度も繰り返すのは許されないことです。

最近、どうも集中力がない私です。。これにはいつもは明るく振舞っている私もさすがに落ち込みました。

‘これは始末書ものですねぇ。。’と私。

すると傍で聞いていたキャリア女史が、‘まっちゃんさん、始末書書きますか?’と言ってきたのです。

で、色々話をしていて、結局‘ヒヤリハット’を書くことになったわけです。

思うに、こういうことは大なり小なり起こりること、私が書くことによって私も含めて改めて意識し教訓として今後の事故防止に繋がるのではと確信したのでした。

まだまだ仕事の面でもツメの甘いところがある私、ここはもう一度気を引き締めて取り掛からねばと思ったのでした。

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やっと咲き始めた梅

今日は比較的暖かだったですね。

とは言ってもやはり二月なので、気温は三月並みといえどもどこか冷えます。

久しぶりに平日の代休で、所用が済んで、少し時間があったので、マイ一眼レフくんを肩からぶら下げて、お散歩してみました。

どこぞに梅は咲いてないかいなと見ながら歩いていると、またこういう時に限って犬仲間の人にバッタリと会って‘あれ、ワンちゃんは・・?’と聞かれ、‘え・・今お留守番です。。’とカメラぶら下げた姿でにわか取り繕う始末。。

さ、そうしているうちに見つかりました。これは結構咲いてます。

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さてお次はと。

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今度はしだれ梅ですね。これはわりと近くで撮れました。

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ちょっと方向を変えて撮ったつもりが後で見てみるとあんまり変わらないなぁ。。

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おまけはぼけの花の蕾です。どうも今年は寒波のせいか花の咲くのが遅れているようです。レンズもボケ気味のようで。。

例年見に行く所はまだ咲き始めなので、もう少し先になりそう。。

とはいっても行ける日は限られているので、見逃さないように行かなくっちゃ。punch

しかし梅はなかなか撮るのが難しいですねぇ。wobbly

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豚玉マンポストカード☆

 ブログのお仲間のtoyoさんから、豚玉マンのポストカードが届きましたー♪

嬉しいな~lovely ←とさっそく絵文字なぞ使ったりして。。

ではでは、さっそくご紹介しましょう!

Dsc_0393jpegk ね、可愛いでしょ。

こうしてみるとtoyoさんのブログと勘違いしそうですが、ここはまっちゃんのブログですので。

でその証拠として。。

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う~ん、ちょっと見にくいですが、toyoさんからのお手紙です。

toyoさんありがとうございます。

普段はネットでのお付き合いだったのが、時空を超えて舞い降りて来た感じです。

いつもはブログで拝見していた豚玉マンが実際に現物を見ると、また一段と可愛いですねー。色彩もとても綺麗です。

でも使うのはもったいないので記念にとっておこうっと。

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旅立ちの篤姫

いや~、今回はなかなか感動的な場面がありましたねぇ。

相変わらずお寒い日々が続いておりますが、ドラマの中では何度も胸が熱くなりました。。

やはり菊本の自害はすでに於一の将来を思い覚悟を決めての事だったようです。

この件に関しては父忠剛は‘お屋敷を血に汚したのじゃ’と菊本の弔いもなく所持品もすべて処分し、於一には菊本のことは忘れるのじゃ!よいな!と食い下がる於一にも‘下がれと言ったら下がれ!といつになく強行な態度です。

その夜、於一の部屋に、母お幸が於一を気遣い枕元にやって来ます。

そこで菊本が書置きを残していたことを話します。父・母そして於一宛ての三通だったのです。

その中のお幸への内容は自分の身分の低さが藩主の養女となる於一に差し障りがなきよう自害し我が家中より抹消されることを望んでいたらしいとのこと。

そしてお城に上がる時に手渡すはずだった菩薩像を‘辛い時には手を合わせなさい。菊本の成仏にもなります。’と於一にそれを持たせるのでした。

菊本の真意を知り、その菩薩像に菊本への思いを募らせる於一なのでした。

さてまたまた二人の囲碁の対局の時間がやって参りました。

そこで於一は尚五郎に、‘皆が忘れろというのです’と少し寂しげに語ります。

しかし尚五郎は、菊本を一日も早く忘れることです、そして前を向いて生きていくことです!!とかなり熱い尚五郎です。

これには於一も‘尚五郎さんも怒ることがあるのですね・・・といささかビックリ。

そして尚五郎さんには折々に励ましてもらったり、時には勇気付けてもらったり・・・・・感謝しています・・・

これにはグッと来ましたねぇ。尚五郎もですが。。

こうしている間にも世の中は大きく動いているようです。

アメリカのペリーが日本との通商を求め軍艦を差し向けているとの情報が江戸にも届いているようです。

この事を受けて薩摩藩主斉彬は、ただちに薩摩に砲台造りを忠剛に命じます。そして於一の城入りも早まりそうです。

その後江戸に向かった斉彬は老中阿倍と手を組み、水戸の斉昭をも上手く取り込み軍艦を造るよう仕向けます。

一方、着々と準備が進められている今和泉家ですが、斉彬さまからの使者がお付きもすべてこちらで執り行なうとの言葉にすかざずお幸が、姫様にとってお城に上がるのは心細いこと、侍女はたとえ一人でもお供させます!ときっぱり言い切るのでした。

さすが、於一の母上です。於一もこの血を引いているのでしょうねー。

残された時間を少しでもお父上とお話をと思ってもさあその忠剛もどうも照れくさいのか自分からはなかなかです。

そんなお父上に大好きな書物を私の形見としてと手渡すのです。

・・・どうもこういう時は父親ってのはうまく表現出来ないようですね。

時は流れ、いよいよ最後の晩餐の日がやって来ました。

もう明日からは身分が違う身の上です。父として於一の上座に座るのも母兄弟ともこれが最後となるのです。。

万感の思いの忠剛の元に尚五郎が肝付家からのお祝いの品を参上して来ます。

すぐお暇するはずだったのが、忠剛らが尚五郎の気持ちを察し、二人の対局を勧めます。

最後の対局が終わり、互いのお守りを交換しその絆を確かめる二人なのでした。

そして最後の母上からの教えも貰います。

これからは多くの家臣たちの上に立つ身、どんな時にも虚心になりその人の身になって考えるように、そして迷った時は考えるのをやめ感じるのです。自分を信じて感じるがままに任せるのですと。

う~ん、素晴らしい教訓です。悩める現代社会にも多いに役立ちそうです。

ついに当日。

最後のお別れの挨拶を交わします。

お迎えの立派な籠に乗り、窓越しからは父上たちが深々と礼をしてお見送りするのが見えます。

必死で涙をこらえる於一。しかしまっちゃん姫はもうボロボロでした。。

もちろん、見送った忠剛もお幸も・・・・そして尚五郎も。。

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そうそう、記事をアップしてやれやれと一風呂入ってふと思い出したのですが、何か物足りないなぁと思ったら、菊本が於一の閨の足元に現れ、於一に語りかけた言葉も感動しましたねー。

確か今度は霊となり身軽になって姫様のいずこにいようともずっとついてお守りしますというような事を言ったと思うのですが。。なんかジーンとしましたねー。きっとこれで於一も納得されたのではないかと。

もしかしてうすうす感じられている方もおられるかも知れませんが、今回の大河ドラマでは少々セーブして書いております。あまり入れ込むと息切れしそうで、なにせ長丁場ですので。

そんなわけで菊本のようにはなれそうもないまっちゃん姫でした。。

【篤姫豆知識】

於一が篤姫と名を改め、斉彬の娘になるため、鹿児島城に入ったのはペリーの黒船が来航した二日後のことで、斉彬が藩主になって二年四ヶ月後の嘉永六年(1853)六月五日でした。当時の斉彬はまだ一橋慶喜の将軍擁立運動には参加しておらず、篤姫の輿入れもこの時点では無関係でした。

斉彬はむしろ鹿児島城下に軍備拡張・殖産産業のための洋式工場である集成館を建設し、朱子学一辺倒の藩校造士館に蘭学や国学を導入し、人材育成にあたるなど、新時代を見据えての物心両面からの事業に熱心だったようです。

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ボクは元気です

Dsc_0358jpegk どうも、愛犬タロウです。

部屋の隅から失礼いたします。

毎日お寒い日が続きますが、お変わりありませんか。ボクはというとおかげさまでまたグッと良くなりまして吸入も一日一回になり、咳も随分楽になりました。

今日は飼い主もお休みで久しぶりにお昼もお散歩に行くことになりました。

風は冷たいけどお天気は上々。気持ち良さそうです。

じゃあ、良かったらボクと一緒にお散歩に出掛けることとしますか。

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ボクのお馴染みの一張羅の服を着せてもらって近くの公園に行きました。

Dsc_0365jpegk さっそく自慢の鼻で臭いを嗅いでおります。

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クンクンクン・・・・・

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やっと一段落して、少し周りを見渡したりして。

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ザッと見たけど、冬場は目新しいものはないなぁ。。

若い頃は犬仲間に出会うとちょっと遊んだりしたもんでしたが、ボクも寄る年波でだんだん自分のことで精一杯になって参りまして、せっかく寄って来てくれても、耳も遠くなりなかなかお相手する余裕がなくなっております。

それでもお散歩は昔から変わらず大好きなので、こうして日向ぼっこがてら気分もいいですねー。

また飼い主に連れてってもらおうっと♪

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バレンタインチョコ☆

♪バレンタインキッス、バレンタインキッス♪・・・って昔国生さゆりが歌ってましたねー。

どうも突然失礼いたしました。今日はバレンタインデーですねぇ。

皆様いかがお過ごしですか。もしかしたらこの日のためにトラックを手配した方もいらっしゃるかも知れません(ジャニーズか。)

今日はうちの職場も一応ナースは女性の職場ですのでバレンタインの話題も出たりして。。

で早々にダンナさんに手渡したりしている人も。

しかしこれも男性諸氏にとってはなかなか大変な事情もあるようでして。。

ラジオで聞いた話ですが、ある店長が、父親の威厳?を保つため従業員全員にチョコを要請したとか。

こうなると義理チョコ越えて、義務チョコですな。あげる方も貰う方も一苦労です。

しかしそこまでするかって感じですが。

そうはいっても私も女性のはしくれ、以前は職場でも配りまくっていたのですが、今の職場はまだ初めての冬でもありここは様子見というわけでして。

・・・・でどうやらそういう習慣はなさそうです。。みな身内のみみたいでして。

ま、それもよかろう。あっさりしていて。

そしてこのまっちゃんでございますが、今年はちと久しぶりにちょっとした手作りにしてみました。

とはいっても実に簡単に出来るやつです。え?誰、誰にあげるのって?

まあ、それはヒ・ミ・ツ。いやー大したことはないですわ、義理チョコですから。

ではその代物をチラっとご披露いたしましょう。

Dsc_0355jpegk ・・・すいません、これ実はほぼ失敗作でございます。。

一応生チョコなんですが、少し固くなりすぎて金粉も振ったのですが写真で見るとイマイチですねぇ。(ガックリ。。)

しかも表面がガタガタですわ。。貰ってもらう人には気の毒だけど仕方ないですな。

でも味は悪くないですハイ。

そんなわけで今年もいまいちパッとしないバレンタインでありました。。

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南京町春節祭 part2

さて続きは中国雑技団の演技です。

元々屋内でされているらしいのですが、今回は特別に屋外での演技となったそうです。なんでも向こうでは金賞もとったらしくとてもレベルの高いものですごかったです。

果たしてその迫力が伝わるか未熟ではございますが、ここからは連写が大活躍であります。

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またまた獅子舞です。これはかなり動きが激しく写すのも大変です。

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さ、これももちろん連写。うまく写っているかなぁ。

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まさに自由自在。

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今度は舞台から降りての演技です。

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わおっー!

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さ、お次は傘回しでござーい。

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お見事!

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自転車乗りでーす。

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ラストはまるでアクロバットみたいでした。

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こうして見るとそうでもないですが、この演技から演技に移る華麗な流れが素晴らしいのです。もう人間技ではありません。

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出演者全員が揃いフィナーレです。

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ありがとうございました!!

これで午前の演目は終了しました。実はこれ以外にもまだまだ演技があったのですが、ついつい見入ってしまい写真を撮るのも忘れるほど。

ホントにビデオでお伝えしたいくらいです。

さ、お昼も過ぎて、なんだかお腹も空いて来たのでこれにてまっちゃんカメラマンは南京町を後にしたのでした。

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南京町春節祭 part1

南京町ではこの時期毎年春節祭をやっていて最終日になりましたが、一眼レフくんお供に行って参りました。

内容が盛りだくさんなので今回は二回に分けてお届けしようと思ってます。ご了承を。

では早速このまっちゃんと一緒に参りましょう!

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まずは長安門です。以前にもライトアップでお馴染みですね。

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前回は紹介しませんでしたが、門からの眺めです。そんなに広くなくこじんまりした街並みです。

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まずは獅子舞です。ギリギリに着いたのでもう人出で一杯で撮るのが大変です。。

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実はこの獅子舞は連写で撮っています。比較的動きが緩やかだったので練習にはもってこいでした。

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日本の獅子舞とは随分雰囲気が違いますね。

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傍ではお参りもしています。三蔵法師がお出迎えです。

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お次は歌謡ショー。

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なかなかの熱唱でございました。一眼レフカメラマンもたくさんおられました。

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続いて神戸華僑による楽器演奏会です。

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う~ん、お天気もよくて日差しがいい気持ちです。

さてこの後はまた明日ということで。みなさん、それまでサヨナラ、サヨナラ。。

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二人の分かれ道の篤姫

いよいよ於一が、薩摩77万石の藩主である斉彬さまの養女となるみたいですね。

この思いもかけぬ朗報に忠剛もまさに天にも昇る思いにて、一家揃って名誉の喜びに舞い上がります。

そんな中でも於一は余りに突然の出来事に何故私が・・と腑に落ちぬ様子。傍にいた菊本は何という誇らしい事とこれで甲斐がありましたと感慨無量です。

そしてその夜。閨で、於一を見守る菊本には涙が。。

かたや父忠剛もやはり寝付けません。そしてふと尚五郎の件を思い出したのです!えらいこっちゃ。こうしてはおれません、まだ宵の内というのに今から着替えて夜が明けたら、肝付の家に行くとのこと。

‘あいすまん!’肝付家にて忠剛は尚五郎と兄の前で深々と頭を下げるのでした。

その報告を放心状態で聞いていた尚五郎、殿様のお召しとなれば、姫様のためには喜ばしいこと、私尚五郎、きっぱり忘れることにいたしました。私は大丈夫ですから。(ちっとも大丈夫じゃない。。)

そしてもうひとつ自分が求婚したことは於一には内々にしてもらいたいと。

・・・・もう見てて痛々しいくらいです。

一方の於一も素直に喜べません。なんだか恐ろしいです、と母上に漏らし、‘あなたらしくもないですね’といわれます。

そんな中、薩摩ではジョン万次郎によって、砲台の整備が進められていました。そこへまだ放心状態でフラフラと歩いている尚五郎を見かけ呼びかけます。

そのジョン万次郎から国際情勢を聞くのです。来るべき米国に備え、おそらく武力で治めようと考えていてそれにはこちらも相手をひるませるには戦力を整えるため武器が必要なのですと尚五郎に説明します。

もっともこれは斉彬さまのお考えですが。とそのお名前が出ると、急に尚五郎また思い出してしまい元気が。。

お近が差し入れにやって来て、つい於一の養女の件を話してしまいます。

どうもやり場のない尚五郎です。

ジョン万次郎は日本男児とはいえ、そこはアメリカ帰りで私なら自分の気持ちを伝えます。と自分の気持ちに自由でありたいなどと理想を述べたりするのです。(それが出来たら苦労せんて。)

しかし立場が違ってしまった以上、尚五郎は伝えて於一の重荷になりたくないと優しいところを見せるのです。

じゃあ、あなたの胸の痛みは、苦しみはと万次郎は尋ねてきます。

だからみんなそこで普通苦しんでいるのではないかとまっちゃん姫は思ったりするのですが。。

さあそんなことを言ってもせんないことでして、またこんな時に於一との囲碁の日がやって来るのです。

こうして於一と尚五郎、各々の思いをもって囲碁の時間が始まります。

それでも尚五郎は気遣って、養女になられることのお祝いの言葉を述べるのです。

しかし於一は実はまだ迷ってます、と気持ちを明かします。

つまり養女となると家族にもそしてあなたにも会えなくなるし、(尚五郎ドキッ)そしてなにより何故この私が召されたのか何のために養女にしたのかが分からないと言うのです。

それなら会って聞いてみたらどうですか、と尚五郎は提案します。

早速於一は忠剛に‘お殿様にお会いしたい’と申し出ます。

びっくり仰天の忠剛はガンとして反対しますが、そこへ母上のお幸が、‘よいのではないですか、お願いしてみては。’と助け舟を出します。

いずれ父と娘の間柄になるのですから。。と。忠剛もその言葉に少し複雑な思いも。。

さてさて尚五郎はというと、於一からお礼のお酒を持って西郷吉之助の祝言に出向きます。

そこではすっかり出来上がった尚五郎。お祝いムードの中、そうそう、そう言えば、於一の方とはどうなりました?とヤボな質問が。

これには尚五郎立ち上がっての大々的に失恋宣言でございます。

しかし陽気に振舞っていたのもこれまで。とうとう堪えきれずに男の涙が。。

ホンマに辛すぎまする。。(もらい泣き)

さ、そして再びお城に上がる於一、菊本から‘女の道は一本道、運命に逆らうは恥でございます’と心をこめて伝えるのです。

その於一を見送る菊本にはある覚悟が。。

お城ではお人払いをし、二人きりでの斉彬と於一との対話です。

於一の気持ちを察し、何故養女に望んだかだなと尋ね、そなたがそういう姫だからじゃと答えます。

わしは腹の底を見せぬ男といわれておる。父との確執に悩み、今度は弟も私の元から離れていった、と寂しさを募らせます。

そしてそなたには二心がない、気が休まるまた我が母上にもよく似ておるのじゃとその人となりを於一に聞かせるのでした。

これを聞いた於一にもう迷いはありませんでした。

決意の面持ちで改めて‘私をぜひとも養女にしていただきたく存じます’ときっぱり申し出るのでした。

あ~これでめでたし、めでたしと思いきや。。今和泉家ではとんでもない事件が。於一は立ち直れるのでしょうか。。

【篤姫豆知識】

今回は出番はありませんでしたが、沢村一樹演じる小松清みち(漢字が分からない)ですが、薩摩藩の名門の出身で、容姿端麗で幼児から天童と噂されていたそうです。

後輩たちの育成を考え、篤姫や尚五郎(のちの帯刀)、忠敬らに学問を教えています。斉彬に抜擢され異例の昇進を遂げますが、海防に向かった琉球で病死をしてしまいます。

旅立つ前、死を予感していたかのように清みちは妹のお近と小松家の領地を尚五郎に託したのでした。

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長い一週間

今週もやっと週末ですね。

先週は6勤だったのもあって、最近は特に週末になるとやれやれやっとお休みだーとホッとしたりします。

病棟もここの所、入院やステルベン(死亡すること)が続いたりで、今日も休憩時間なしで動いていたし。

今の職場に入って半年が過ぎたのだけど、実はこの仕事をしていて、ずっと日勤ばかりしているのは今回が初めてなのです。

今までなら一通り仕事を覚えたら、夜勤に入るのですが、今は老犬も抱えているのもあって、とりあえず日勤だけの勤務にさせてもらっているのです。

しかし最初の頃は仕事を覚えるのに必死で過ぎていったのですが、ある程度馴れて来ると、『夜勤がしたいなぁ。。』と思ったりするのです。

どうも長年不規則な勤務に馴れてしまっているのか、それに夜勤をすると結構昼間が空いたりして、色々と用事が出来たりしてしかも平日の休みってのも何となく得した気分になったりするわけです。

そんな夜の蝶のお仕事が懐かしい私なのですが、若い頃は夜勤とは言っても入りの時はあんまり身体を休めるってこともせずに無茶したこともありました。

以前三交替の勤務をしていた職場では、そこには同年代の若者が集まっていて、よく飲み会やら遊びに行ったものでした。

ある日勤の日、仕事帰りにドクターや若手ナースたちで飲みに行こうって話になり、その日の私は深夜入りだったのですが、仲間から『一緒に行こうよ~♪深夜までに戻ったらいいやんか』という誘惑に負けて、そのまま皆で遊びに繰り出したのです。

私はあまり飲める方ではないのですが、雰囲気が好きなので、確かそこはホールもあって皆でワイワイ飲んで、気分よく踊ったりで適度にアルコールも回ったりして。

そうは言っても時間は瞬く間に過ぎていき、気が付くと深夜入りの時間が迫っておりました。

当時は病院の近くの寮に入っていたので、ギリギリまでいて、時間が来ると、お先に失礼して病院へと直行したのでした。

一旦寮に戻り荷物を持って、即病棟へ。

で、準夜からの申し送りを聞くことになるのですが。。

・・・どうも走ってきたせいか一気に酔いが回った感じで急に頭痛がし出し、申し送りしている声がどこか遠くに聞こえてくるのです。。

・・・何か気分が。。大丈夫かなぁ。。

とりあえず引継ぎが終わり、申し送りの確認をすると今度は病棟の巡回に行くのです。

ずでに消灯時間も過ぎ、患者さんも就寝しており懐中電灯を持っていつものように暗い廊下に出て歩き出しました。

ところが・・・・まっすぐに歩いているつもりが、意識とはうらはらに気がつくとフラフラと壁にぶつかりそうになっている自分がありました。

つまりしっかり歩いたつもりが蛇行していたわけです。。

これはかなりヤバイです。。えらいこっちゃ。これでは酔っ払いですわ。

実はその後どうやって仕事していたのか記憶が定かではないのです。

しかし何とか明け方までには酔い?も冷めたようで、滞りなくお仕事を終えることが出来ましたのでございます。

そんなわけで、これに懲りて、その後は本来の真面目な私に戻り今ではまるで宝塚のように清く正しく美しく?生きておるのでございました。

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星野仙一トークショー

いよいよプロ野球もキャンプインしましたねー。

あ~、またこの季節がやって参りました。今年も楽しみです。

わがトラも今のところ故障者もなく順調に来ているようです。

新外国人ピッチャーもなかなか評判はいいようですが。。

さて先週ですが、前に勤めていたホテルで星野ジャパンの監督でもあられる星野仙一のトークショーに行って来ました。

ちょっとお値段も張りましたが、北京オリンピック予選の裏話などを期待しまして、思い切ってチケットをゲット。

生星野監督を見るのはこれで二度目ですが、あ~、いくつになっても素敵でございました~☆

当日はヘッドコーチを務め、星野監督の長年の親友でもある田淵幸一氏もゲストとして迎えられ、まさに絶妙のトークでした。

やはり日の丸は重かったそうです。。これはオリンピックの監督を引き受けた時、前長嶋監督からも‘仙ちゃん、日の丸は重いよー’としみじみ言われたそうですが、実際やってみて痛いほどずっしり重かったそうです。

予選突破が決まった時、皆嬉しいというより‘ああ、よかった。’という安堵の気持ちで一杯だったらしい。これで日本に帰れると。。

他にもこれは記者やTVじゃ言えないなぁと言いつつ、話していたこともあって、あっという間に楽しい時間過ぎていきました。

あと田淵幸一と山本浩二との三羽ガラスの仲の良さは折り紙付き。

この歳(62歳)になって、世間から請われ、こうして仲間とまた野球が出来るのはなんと幸せなことかとも言われていました。

例のノーアウトでのスクイズや、なぜ球児を出さなかったのかとトラファンから散々言われたとか。

う~ん、言いにくいですが、どうも星野監督は国際舞台では球児より岩瀬の方が信頼しているらしい。。(ちょっとショック。。)

また球児を温存したのは延長も頭に入れての事らしいのだが。。

ま、他にも色々エピソードがあって語りきれないのが残念ですが、ここでちょっとホテルの様子をご紹介しましょう。

会場はあの話題の披露宴の‘平安の間’広かったですー。

しかし会場内は撮影禁止なので、ここは差し支えない所で。。

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ここは二階が正面玄関になります。

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で車で上に上がると。。遠目でこんな感じです。

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ホテルのロビーです。

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室内の撮影は難しいですね。最初は暗くてここまで持ってくるのにちょっと苦労しました。

市内では格式あるホテルとして知られ、芸能人御用達でもあるのですが、勤めていた頃は従業員専用口から出入りしていたので、それまではこのホテルにはご縁がなくて今回初めてロビーから入ってみたわけで。

ここは創立してもう二十年になるので、さすがに少し古さを感じないとは言えないのですが、年々ホテル競争も厳しいようで、格式を保ちつつ続けていくのもなかなか大変なようです。

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報われぬ想いの篤姫

あ~尚五郎大変でしたねぇ。

せっかく一世一代の決心で於一への求婚を忠剛に願い出て、これまた天の助けと忠剛も‘あい分かった!’と膝を叩いて承知しこれでなんとか忠教の子右近との縁談が破棄されると一安心だったのが。。

しかし於一の方も、まだ縁談には興味がないらしく、菊本に急かされても‘その時はその時になってからじゃ’などとまだ藩主斉彬さまから頂いた史書の方に夢中なようです。

ただこの話内密のはずが、兄忠敬に立ち聞きされそれが尚五郎の耳に入り、さあそれからというもの普段は優柔不断気味の尚五郎も内心穏やかではありません。

そんな中、薩摩藩にはある男がやって来ます。

長年外国で暮らしていて日本に戻ってきたジョン万次郎です。

城内では斉彬との直談を許され、さっそく斉彬さまはこれからは海防が大事と藩で作らせた図面をジョン万次郎に見せ意見を聞きます。

西洋の航海術をくまなく学んできた万次郎は、図面に目を通すなり、『これやったら使い物になりません』と断言します。

なんでもまだ日本は大砲に青銅を使っているが、すでにイギリスなどでは鉄を使用し倍以上の距離を飛ばすことが出来るとか。

西洋の船と大砲について知るべきと進言するのでした。

さ、一方の於一の縁談の行方です。

どうやら於一も母上から縁談の件を聞き及んだようです。

西郷らに相談するもなかなか煮えきらず、またしても相談役の確か小松何がしかの所へ赴くのでした。。

でいざご相談をとすると、なんとそこに渦中の於一も来ているではありませんか。

どうも客人が来られているようで、みるとジョン万次郎です。

そこで於一と尚五郎はジョン万次郎から外国のプレジデントの話から日本とはすべて価値観の違いにカルチャーショックを受けるのでした。。

帰り道、二人はまだその余韻が抜けきらない様子、しかも微妙に捉え方が違ったりして。

於一の口から縁談の話が持ち上がっていることを尚五郎に話します。

そしてその尚五郎に縁談相手の右近さまを自分の目で見たいから一緒について来てくれなどと頼みます。

なんで私が二人で行っても可笑しいでしょと言うも於一に押し切られそっと物陰から右近さまを確認するのでした。

よさそうな方で安心しました。という於一。しかし・・・

思い切って尚五郎はどのようなお方がお好きなのですかと聞きただします。

桜島をバックにその於一の答えは。‘日本一の男です。私にとっての日本一の男です’とこれまた大きく出ました。どうも理想が高いというか。。

この言葉が尚五郎に重く圧し掛かってきます。

日本一・・日本一・・筆にしたため、木刀を振りかざし、水を被りなど・・色々試し自分に問い掛けているようです。

於一も母上にどうやら右近さまは於一にとって日本一の男ではないことが分かると告白するのでした。

ついに斉彬さまからお呼び出しがかかり、すわいよいよ縁談の話かと忠剛は慌てだします。

そこへあの尚五郎が決意を固めてやって来るのですが。。

あ~、うまくいくと思ったのですがねー。

なんと話の内容が、相手が斉彬さまの養女となると。。

これにはさすがの忠剛も思わず絶句です。。

それにしても尚五郎がお可愛そう。。あれほど於一の事を想ってくれているのにもったいないなぁ。。

【篤姫豆知識】

斉彬は曽祖父重豪(しげひで)の薫陶を受け、洋楽を学び、世界的な視野を持った英邁な人物として若い時より幕府や諸大名から注目されていました。

父斉興が斉彬を嫌った原因は重豪(しげひで)にあったようです。

重豪は幼い時から斉彬を可愛がったそうで、重豪は外国の文物に強い関心を抱き、自分で中国語の辞書をつくり、ローマ字を覚え、斉彬を伴い医師シーボルトに会って知識を吸収するなど西洋文明に親しんだようです。

ところがその重豪の異国文化好きは、派手な生活とあいまって、薩摩の財政を危機に陥らせました。

何しろ薩摩藩は文政十年(1827)時点で五百万両の巨額な債務を抱えていたそうです。

この債務を斉興のもと。調所広郷が藩政改革を断行し、十九年後には薩摩に五十万両の蓄えができるまでになったということです。

斉彬がジョン万次郎を召抱えたのも広い視野から学ぼうという姿勢からでしょうか。

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まっちゃんの風林火山

今日から二月ですね。早いもんですねぇ、この前お正月だと思ったらもう1ヶ月経ったのですから。

二月は逃げるといいますが、そうはいってもそれなりの行事もあります。

日曜日は節分だし、バレンタインデーもあり、そしてこのまっちゃんのお誕生日も控えておるのです。あ~やだやだもう歳とりたくないですわー。

年々精神年齢と実年齢とのギャップが広がるばかりではありますが、こればっかりは皆時間とともに平等に与えられているようで、受け入れるしかないようです。。

さ、そんな事より今日はお知らせがあります。

昨年、風林火山の最終回を迎えた際、‘メモリアル企画’についてチラッと触れたことを覚えておられるでしょうか。

実は今年に入ってから密かに作業を進めていまして、やっと完成したのでありまする。

なんとまた凝りもせず、一年間の風林火山をアップした記事をまとめてブログ本を作成しましたー!

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ちょっと写真が分かりにくいかも知れませんが、私は二月から書き始めたのですが、途中お休みもしたのですが、その代わりに風林火山の番外編や、ガクト編、こぼれ話なども入れましてちょうど50話となりました。

題して‘まっちゃんの風林火山’でございます。

表紙は武田家のムカデ軍のえんじ色をイメージにしてデザインも和風の感じとしました。

どうです、なかなか本らしいでしょ。

プロローグから始まり、2007・2・4の『風林火山』から2007・12・16の『感謝の風林火山』までコメント・トラックバック付きで全206ページとなりました。

こうして改めてパラパラと見てみると、毎回‘見ごたえのある’とか‘来週が楽しみ’など読んでいて無我夢中で毎回ハラハラドキドキしながら書いていた様子が伝わってくるようです。

なんだかコメントを下さった方々も熱く語っているのが肌に感じられるのです。

しかも私もいつのまにか野球やらなんやらで脱線していたりで、なんとも思いつくままよく書いたものだと感心しております。

さあ、そこでなんと気を良くして三冊も作ってしまい(どうすんねん、本ばっかり。。)ましたが、また私の道楽が始まったわけですが、ここで一年間風林火山をご愛読くださった皆様にドーンとプレゼントしちゃおかなーと思っております。

でもいまさら読むほどでもと言われればそれまでで、その時はその時でまた身内か友人あたりに配っていくかと。。

まあとりあえず、この本欲しいなぁと思われた稀少な方があればご遠慮なくコメントなりメールもございますのでよろしくどうぞ。

よーこんなん作ったなぁという感想でも構いませんので。。

いうてもまた周りに配るのかなぁ、たぶん。

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