いや~、今回もなかなか面白かったですねー。
しかしこのまっちゃん姫いささかお疲れモードにて頭がぼーっとしている時に限ってまたテンポよくストーリーが展開していったりして。。
まそんな個人的な事情はともかくとして、斉彬のたっての希望で於一・・・じゃなかったか。。でもこの時点ではまだですよね。
新たにお付きの老女として京よりはぜ参じた幾島のまさに怒涛の教育指導が始まります。
まずは居住まいを正し、薩摩訛りの矯正です。
これには今泉家でののびのびと育ってきた於一には窮屈で堪りません。。
しかしこの幾島、まさに‘影が形に添うがごとく’例えご不浄でもどこまでもサッと現れてくるのです。
とにかく菊本よりの薩摩訛りを直すためまさに耳にたこが出来るくらい聞かされ猛特訓です。
そしていささか疲れたと申せば今度は身体をほぐすため、なぎなた使いでございます。
‘きぇ~~イ!!’とそれはお勇ましいなぎなた裁きを披露する幾島。
於一も開き直って‘きぇ~~イ!!
’
そうこうしているうちに斉彬がお城にお帰りになります。
そこで再びご対面の於一、喜び勇んで斉彬にご挨拶です。
その斉彬から於一に新しく名前を授かります。小松が見せた半紙に書かれていたのは『篤子』
今度からそなたは篤姫と呼ばれるのじゃ。とにこやかに話す斉彬。
ここに篤姫が誕生となるのです。
さて江戸ではその頃大変なことが。黒船来航などの対応に追われていた将軍家慶が急死したのでした。
阿部老中や水戸の斉昭もしばらくは伏せるよう申し合わせます。
このかつてない重要な局面に譜代大名の垣根を越えて薩摩の斉彬に託していくのでした。
一方篤姫にもぺりーの黒船の軍艦の様子を斉彬から拝見することになります。
興味に目を耀かせ、ぜひ乗ってみたいと言い、日本でも船を造る必要性の理由を問うと篤姫まるで戦略家のように斉彬と同じ考えを言ってのけるのには当の斉彬も驚きます。
感心しながらこの世には女子しか出来ぬことがある・・と意味深なことを洩らのでした。。
その黒船の情報は尚五郎から西郷や大久保らにも伝えられます。
殿様の真意が知りたく尚五郎は先生でもある小松の元に二人を連れて意見を乞うのでした。
そこで小松の口から篤姫にことも聞き出します。
‘今は篤姫さまと名前を変えられた’と聞く尚五郎・・・そして父忠剛に母お幸。。
篤姫さま・・・どんどん遠くなっていくな。。しかし於一が生まれた時に植えた木を眺めながら‘あの時の於一はわしらのモノじゃ。’と言った忠剛の言葉にジーンと来ましたね。。
相変わらず幾島に絞られている篤姫。けれども今泉家よりのお付きのしのとも直接話も禁じられ、なお厳しい躾が課せられるともうガマンの限界になったようです。。
かつて幾島が仕えていた郁姫のようには行かぬと涙ながらに訴えるも今度は幾島は郁姫さまのことは二度と口にして欲しくないと申し、菊本のことをとやかく言われたくないのと同じと言われてしまいます。。
・・・・・さて。次期将軍が家定と決まった以上、事は急がねばなりません。
斉彬の元に幾島が呼ばれ、篤姫の縁談で極秘情報が伝えられます。
これにはまったく予想もしていなかった幾島、お相手が徳川宗家と聞き、腹を括り決意も新たにしたようでございます。
【篤姫豆知識】
今回はこの時代のお公家さまについてちょっとご紹介したいと思います。
幾島が島津家の郁姫のお付きの老女としてお仕えした近衛家は五摂家のひとつで摂家とは摂政関白に任ぜられる家のことで近衛家は藤原北家の嫡流にあたる名族です。藤原基通が内大臣摂政関白となって、京都近衛の北、室町の東に邸宅を構え、『近衛殿』と称したことからこの名が起こり、のちに氏の名となったそうです。
郁姫は近衛忠ひろ(漢字が出ない:春風亭小朝)の正室ですが、島津斉興の養女でもあり、斉彬とは義姉妹となるわけです。
さて公家貴族が政治の実権を握っていたのは、平安時代半ばまででした。その後も一応官位のヒエラルキーの中では、天皇と公卿が高位であり続けたののですが、内実は伴わなくなったようです。
さらに武家が政権をうちたててからは、京都の勢力をなるべく無力化させておこうとする政策で、公家階級も衰弱する一方。
徳川時代には<禁中並公家諸法度>でより一層の規制がかけられました。
朝廷も公家も基本的には学問をし、伝統を伝えてゆきさえすればよい存在。直接の領地というものもなくなり領主貴族ではなくなりました。そのかわり徳川政権は、朝廷・公家全体に対して十数万石分の土地を割り当ててやり、それをまた朝廷が家来である公家たちに割り振るという形にしたのでした。
ですから豊かな土地をもらい、その年の実りがよければたくさんの収入がありますが、仮に割り当てが痩せた土地だったり不作の年だったりしてもそれはそのままうけいれざるを得ませんでした。そして豊かな土地というのは公卿最高位の五摂家のうちでも、近衛家など、ごく一握りの公家にしか割り当てられなかったのです。
<参考>江戸時代の朝幕間交渉ルート
将軍←→老中←→京都所司代←→禁裏付←→武家伝奏←→関白←→天皇
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